魚群探知機の歴史(アメリカ編)
私は個人的にはアメリカの魚探が好きです。
何よりもその設計思想が生物とは何を求めて生活するのかという命題を追求されて作られている点がすばらしいと思います。
また、そのデータも政府がいっしょに研究した物が使用されている点が正確さを益しています。今回はアメリカの魚探史をひもといてご紹介したいと思います。
LOWLANCEの歴史

1950年代後期に、一介の漁師であったカール Lowrance (Carl Lowrance) と彼の息子 Arlen とダレル (Darrell) は魚の習癖を観察するためにスキューバダイビングを始めました。
そして最初は魚の付き場を探すだけの物だったのが研究として認められたのがそもそもの始まりでした。この研究は、連邦政府によって認証されて、詳細なデータが取られました。
その結果
1.魚のおよそ90パーセントが湖の面積の10パーセントに集まったこと
2.環境の状態が変化した場合には ”魚はいっそう好ましいエリアに動く”
という事が科学的に実証されたのです。
(ここら辺が合理主義国家アメリカがいかに昔から科学的でSUGOIとこですね〜)
中でもカールや息子達が行ったスキューバダイビングでは
1.たいていの魚種が(木、雑草、岩と配達のような)水中のストラクチャー、温度、電流、日光と風によって影響を与えられる
2.これらと他の要因は魚類の食べ物( baitfish 、藻とプランクトン)の場所に影響を与える
3.同時に、これらの要因は魚の頻繁な移動を起こす状態を作る。
ことを確認しています。
(私達は情報として当たり前の用にしっている事が当時は大発見だったのです。)
当時この研究の間、カール Lowrance (Carl Lowrance) と彼の息子
Arlen とダレル
(Darrell) は漁船でばかでかい、扱いにくい音波探知機を使っていました。
低い周波数50−30KHZで稼働させていたそうで、このユニットは自動車バッテリーと真空管を使った巨大な物でした。
この機械では湖底の深さと大きな魚の群は写すことができましたが個別の魚を写しだすことは不可能でした。
それでカール (Carl) と彼の息子はどうしたらこのユニットを小型化できるか研究を始めました。
そしてついに個別の魚を発見することができる音波探知機を開発しました。
何年もの研究、開発、と膨大な努力の後に、劇的に釣りの世界を変えた音波探知機が作り出されたわけです。
1957年 この機種が世界最初の
持ち運び可能なスポーツフィッシング用音波探知機の販売でした。
1959年に、
Lowrance は世界中でベストセラー音波探知機になった“、リトル (Little) ・グリーン (Green) ・ Box ”、を発売しました。
このリトルグリーンボックスは商用機として世界で最初に成功したスポーツフィッシング用音波探知機ユニットでした。累計100万台以上が、1984まで作られました。
Lowranceは1957年から続くもっとも古いメーカーですが
現在も最新の GPS 技術で、 Lowrance が作る音波探知機は世界中でリ
ードし続けています。
リトルグリーンボックスはなんだかミリタリーチックでかっこいいですね。またこのヒットを飛ばすまでかなりの紆余曲折があったようです。次回はその辺をお伝えします。